古のヲタクという名称はルッキズムではないのか?

アニメとラジオが大好きな40代男子の独り言

月見草ひっそりと逝く

朝のラジオ番組で訃報を知った時に唖然とした

野村克也氏死去

一般的にはヤクルトスワローズの監督時代に提唱したID野球(インポータントデータ)のイメージ強い

実際、私が初めて名前を知ったのはテレビ朝日の解説者時代に登場した「野村スコープ

今では当たり前になったストライクゾーンのシルエットに球数、球種を表示するもの

現場で「配球チャート」と呼ばれた資料をテレビで初めて公開しプロ野球の新たな見方を教えてもらった

現役時代は全く知らないが「あぶさん」の中で度々登場しており

漫画の中でも人を大事にする心優しい方なんだなと思っていた

データ重視の根底にあるのは現役時代カーブが打てなくて研究したところピッチャーの癖を知ったから

「常に考えてプレーをする」は生涯の口癖である

同じく「シンキングベースボール」を提唱していたドン・ブレイザーをホークスのプレイングマネージャー時代にヘッドコーチとして置いていたのも自分の分身としてベンチから選手のプレーを観察してもらいたかったのかもしれない

ノムさんの代名詞として有名なのは「野村再生工場

他球団で燻っていた選手を獲得し見事に大活躍させる

人をその気にさせる事は有名で東映では無名だった江本孟紀をトレードに向かい入れたときにすぐさま16番のユニホームを用意して主力投手にさせたし

阪神を追い出され先発するにも肥満から難しくなっていた江夏豊

「球界を革命してやろう」と言って専任リリーバーにした

後にクローザーとして活躍し優勝請負人と呼ばれる

スワローズ時代は小早川毅彦を移籍後即4番に起用して斎藤雅樹から3打席連続ホームラン

大工からプロ野球選手になったもののホークスを解雇された田畑一也を獲得して主力投手に成長

タイガースの場合、新庄に投手挑戦をさせたり、F1セブンと称して若手を積極的に起用

優勝メンバーの赤星、藤本、現監督の矢野輝弘、更に後の20勝投手井川慶を起用して主力にさせた

イーグルスではドラゴンズ時代にホームラン王を獲得したものの気難しい性格が災いしてチームを転々としていた山崎武司を生き返らせ

両リーグホームラン王を獲得

度重なる肩の痛みで戦列を離れていた岩隈久志を20勝投手にさせ

現在ヤンキースでプレーする田中将大を育て上げた

普段は厳しいことしか言わないしキャンプでは「野村の考え」と題して細かくミーティングをするけども

根本は選手を信用して起用する事にあったと思う

人を育てるのは難しいと常日頃から言っていたけれど

これだけの選手を輩出した裏で数多く活躍できなかった選手を思って話していたのかもしれない

思えば現役引退するきっかけは自身に代打を送られた際に苛立ちを隠せず

思わずベンチで「凡打しろ」と思った事だったと言う

同じ年に現役引退した王貞治氏は「王貞治のバッティングが出来なくなったから」

どんな選手も引き際を悟る時はあるけれど人を思って決意したのはノムさん以外いない

だから人が引き寄せられていたのだと思う

在籍した最後の球団がライオンズだったからか

いつも気にかけてくれていたし順位予想も殆どAクラスにしてもらった記憶がある

選手と監督の時代では「お前がわからない」と言っていた辻監督に対して

「辻は私の教え子で一番優秀」と言って毎年会いに行っていたのを思い出す

もうあの人懐っこい笑顔もぼやきも聞く事はできないけれど

天国で野球界を見守ってぶつぶつ文句を言ってください

沙知代夫人と一緒に

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