ハンデキャップを乗り越えろ
甲子園のない一年が来ようとは思いもよらなかった
正式に夏の全国大会の中止を決定
地方大会に関しては各県の対応に任せると言う結論なので
既に35地区は大会開催を検討している
次に切り替えて行こうとか
やってきた努力は無意味じゃないとアスリートから出ているけど
私が中学時代に指導してもらった体育教師から聞いた話が頭から離れない
小学生から野球を続け高校は甲子園出場経験のある強豪校へ
甲子園目指して厳しい練習に耐えいざ自分が3年生の代になったら
暴力事件が発覚して出場停止
前年甲子園出場した後だっただけに
周囲から大変失望されたと言い
「未だに忘れらない程悔しくてしょうがない」
とぶっきらぼうに語っていたのを思い出す
今回はコロナウィルスの影響とはいえ
多くの高校3年生は同じ思いをしているだろう
今日はそんな方達に2人のプロ野球選手について書きたいと思う
1人は1977年から22年間プレーした山本和範
高校時代は投手として名を馳せ近鉄に入団
直ぐに野手転向を言い渡されるも猛練習で二軍のレギュラーを掴み
一軍に昇格も結果が出せず戦力外を告げられる
2軍で三年連続3割を打っていたのにいきなり戦力外にされた理由
それは彼が生まれつき右耳の聴力が弱く
打球音で目測の見当をつける外野手では不利とみなされた
しかし彼はバッティングセンターに住み込みで働いて練習
2軍時代をよく知る南海ホークスの穴吹監督から声をかけられ移籍
移籍2年目からライトのレギュラーを獲得し以降は南海・ダイエーホークスの主力打者になった
しかし1995年怪我で長期離脱し移籍後ワーストの成績になった事で2度目の戦力外通告を受ける
山本は古巣近鉄のテストを受け復帰
オールスターでは仰木監督の推薦で出場し福岡ドームでホームランを放ちMVP
現役最後は福岡ドームで登録されシーズン15勝無敗だったら篠原から決勝ホームランを放ち引退を決めた
2人目はジム・アボット
こちらは先天性右手欠損で手首から先がなく
ピッチャーとして打球を処理するときは左腕にクラブを一度はめて取りそのままグラブを右手に移し替えて投げていた
僕が知ったのは日米大学選手権でアメリカ代表としてプレーした時
器用なグラブ捌きとまったく違和感なく送球しているプレーを見て
本当に驚いた
後にメジャー1巡目でドラフト指名されると
1993年ニューヨークヤンキースに在籍した年にノーヒットノーランを達成
1996年に一度は引退をするものの2年後に復帰
シカゴホワイトソックスで5戦5勝をあげている
彼らは生まれながらのハンディを持ちながら
真摯に野球に取り組み一流の選手になっている
他にも遺伝子の組み合わせで起きる色弱を隠してプレーしていた真弓明信
さらに昨年大腸癌から復帰して現役を続けているタイガースの原口など
健常者だから一流プレーヤーではない
今思っているこの口惜しさをそれぞれの進む道でぶつけて欲しい
そしてこの中止があったからこそ人間として成長できたと言えるようになってもらいたい
さらにプロを目指す連中はこの世代を背負って乗り込むのだから
精進してかつての松坂世代・佑ちゃんマーくん世代にも負けないくらい
一流プレーヤーになってもらいたい
悔しさを知る人間だからこそ乗り越えられる壁もあると思う