10・19 その時私は夢の中
1988年10月19日
マッチレースになったパリーグの優勝がこの日のダブルヘッダーで決まる
当時私は小学6年生
この年から平日のナイターは文化放送を聞いていた
森監督3年目のシーズンは過去2年と比べていいペースで成績を残していた
開幕から首位に居座り
6月の時点で2位に8ゲーム差をつける独走状態だった
6月に自宅で大麻栽培により逮捕され即日解雇したデービスに変わり
ラルフ・ブライアントをドラゴンズから移籍させると
夏場から驚異的な猛追を見せた
130試合全日程を終了したライオンズは優勝を決められず
残り4試合残したバファローズの結果にゆだねられたのである
既にホームゲーム終了したバファローズは西宮で阪急戦
星野信之に抑え込まれ敗戦し後がなくなった
残りはここまで8連勝と相性の良かったロッテ戦
初戦は荘勝雄を打線が攻略し大勝
そしてこの日を迎えたのである
私は当然この状況を知っていたが
直前まで福島の修学旅行に参加し
10.19は帰宅した直後で
具合が悪かった私はテレビ朝日を付けたまま眠ってしまっていた
起きた時にニュース速報のテロップで優勝を目にすると言う事になる
今日ユーチューブでその試合の実況を見ていた
後に実況パワフルプロ野球の担当アナウンサーとして知られる安倍憲幸氏と
現役時代とは別人の口当たり良い小川亨さんの解説はとても面白い
ベテラン吹石のホームランに賛辞の言葉を送り
新井の強烈な三塁線の打球を捌いた水上に「ディスイズプロ野球」と送る
普段は日の目の見ないパリーグが
この日ばかりは全国の視線を集めている
第一試合9回に代走で出場したものの憤死した佐藤純一
その直後代打に起用され決勝打を打った梨田昌孝
吹石、真喜志の連弾も裏に追いつかれ
ブライアントのホームランで突き放すも阿波野が高沢に打たれ追いつかれる
この2試合はプロ野球史上最も激烈で
最も悲惨な結末を迎えたと言っていい
後に日本一になった後、清原は安堵してこう言った
「これで近鉄に顔向けできる」
この言葉がまた紡がれる様な戦いが見られるのか
楽しみであり怖くもある今日である