名物監督が逝く
昭和の高校野球には名物監督がいた
どっかりとベンチに陣取るだけで相手は委縮し
優位に試合を進めても気が付くと逆転を許してしまう
年々鬼籍に入る方が出てきているが
今年は相次いで2人逝去
もう一人は一昨日逝去した茨城・取手二高、常総学院で春夏3度制した
木内幸雄氏である
橋本監督は一代で天理を全国の強豪に押し上げた
かつてやまびこ打線で80年代を凌駕した徳島・池田高の蔦監督のように
強打を武器に1986年奈良県初の夏の全国選手権制覇
その直後退任するも部内の不祥事の度に復帰し
1990年2度目の全国制覇を達成する
今の野球の潮流を作った一つに
これまで大成しないと言われた長身エースの登用がある
南と翌年の谷口は190センチを超える右腕
三期連続甲子園に出場しいずれも卒業後にドラフト指名
後のダルビッシュ以降の活躍する礎を築いたと言っていい
常にベンチで暖かい目線で選手を見守っていた
しかし作戦はバントが予想される場面で強攻したり
逆にバントのない場面で一転してバント攻勢を仕掛けるなど
変幻自在、相手からしたらまったくつかみどころのない采配
その鮮やかな手腕から「木内マジック」と呼ばれた
木内監督と言うとPL学園との因縁を語らずにいられない
1984年取手二高の監督として茨城県勢初の夏の大会決勝進出した
相手は前年夏の覇者・その年の春準優勝
荒木大輔を上回る甲子園の最強KKコンビを擁するPL
下馬評は圧倒的に不利だったが
9回裏の守りで矢継ぎ早に二人の投手を交互に投げさせる奇策を用い同点で進めると
延長10回に桑田から4点を奪い逃げ切り
全国制覇を達成する
3年後、新設の私学常総学院で初出場を果たした木内は
2度目の決勝進出を果たす
相手は春夏連覇を賭けたPL学園
この試合は総合力で上回る相手に完敗し準優勝に終わった
その後は2001年の選抜と2003年に優勝し
名実ともに名将と呼ばれるようになった
特質するべきは教え子のプロ野球選手が
3人も新人王を取っていることだ
1979年度のライオンズ・松沼博久
1996年にジャイアンツ・仁志敏久とファイターズの金子誠が同時受賞
歴代の監督や現在の名将である大阪桐蔭の西谷監督や
東海大相模の門間監督でも達成していない
野球部が強いだけではなく
優秀な人材を育てたと言う点で稀代の人物と言っていいだろう
奇しくもこの二人の後を受け継いだのが
願わくば故人の魂を引き継いで
両校の隆盛とプロ野球界の発展に尽力してもらいたい