マラドーナ・マラドーナ・マラドーナ
突然の訃報から1週間
まだ亡くなった実感がわかなかった
今回あの「number」が追悼特集を出したのを機に
改めてディエゴ・マラドーナについて書きたいと思う
彼は日本のサッカーシーンの一大転換期に現れたスーパースター
1986メキシコ年W杯で母国アルゼンチン2回目の優勝に貢献
イングランド戦の5人抜きや「神の手」ゴールは
今でも映像が流されるほど日本でもなじみ深い
どうして一大転換期と書いたかと言うと
まずNHKが初めてサッカーW杯の放送権を取ったのが1986年大会
当時は衛星放送がなくダイジェスト版のような内容だったが
これがきっかけでサッカーの知名度は飛躍的に上昇
私と同じアラフォー世代の男子にとって
マラドーナは初めて名前を覚えたサッカー選手と答える人も多いのではないか
そして日本代表は前年1985年のアジア最終予選に進出したものの
既にプロリーグ化されていた韓国に完敗
後のJリーグ発足へ繋がるきっかけになったのである
当時小学生だったが
マラドーナの幼少期から綴った漫画が出ていたり
日本の飲料メーカーがCMオファーするなど
優勝した直後の数年間は大々的に取り上げられていた
マラドーナが道を作ったと言っても過言ではない
その後1994年のアメリカW杯
試合後のドーピングで陽性が出てしまいそのまま追放処分
スーパースターの転落劇に騒然とした思いがある
現役引退後は見る影もなく太ってしまい
肥満による大病を患う
一部ゴシップの記事として度々出ていたが
かつてのスーパースターとは遠くかけ離れていた
2010年ドイツW杯
アルゼンチンの監督として表舞台に帰ってきたマラドーナ
準々決勝で敗退したが
常に攻撃てなスタイルで貫かれた戦術と
ゴールした味方に駆け寄る姿は
往年のスーパースターとは違うカリスマ性で人々が引きつけられた
近年はW杯のアルゼンチン戦に必ず顔を出し
必死に応援する姿が印象的で
エネルギッシュな印象があったが
常習的な薬物使用と肥満で
身を滅ぼしてしまったと言う事なのだろう
彼の魅力は貧しい家庭から成りあがったサクセスストーリーと
バルセロナ移籍後にハマってしまった薬物や肥満
その両極端な部分を人間臭く
悪態をつきながら生き抜いてきたことに尽きるのではないか
ペレをはじめ数多くの敵も作ったけれど
アルゼンチン国民からは未だに英雄として愛されている
表裏一体の儚さと強さ
マラドーナは死してなお人々に語り継がれる存在になり続けるだろう