古のヲタクという名称はルッキズムではないのか?

アニメとラジオが大好きな40代男子の独り言

渡辺久信を語る

来年から名実ともにライオンズのトップに立つ渡辺久信

現役時代を知らないファンの方には大柄のハゲたおっさんにしか見えていないかもしれない

そこで黄金期を知る古参が現役時代から今日までの軌跡を紹介したい

野球を始めた時からピッチャーでシニアリーグから有名人だったとか

高校は桐生高校に進学しようとしたが3日で受験勉強を頓挫してしまい前橋工業

1年夏に甲子園で登板するもサヨナラ負け

この時の3年生エースはロッテオリオンズ奪三振王のタイトルを取ったものの引退後に強盗殺人事件を犯し現在服役中の小川博

渡辺の次に行われた試合でノーヒットノーランを達成したピッチャーが工藤公康錚々たるメンバーだ

超高校級の逸材としてプロのスカウトに目が止まっていたが

高校時代は2年生から甲子園に出場できず

ドラフトもライオンズが高野光投手の外れ1位と言う評価だった

しかし均整のとれた体格と当時では希少価値だったストレートの球速145km/hをアベレージで出していたのもあって2年目から主力投手に

肩の故障で1年だけクローザーに回ったシーズンがあったが

現役時代はほぼ先発投手としてエースの活躍している

86、88、90年と最多勝を獲得

日本シリーズでは第1戦先発を通算4回任されていて3勝0敗

90、91年は2年越しで連続完封を達成した

今の選手の投球スタイルで表すならホークスの千賀滉大になる

速いストレートにキレ味鋭いフォークでバッターをねじ伏せていた

96年にその年の日本一チームだったオリックスブルーウェーブ戦でノーヒットノーランを達成

しかしその勝利から故障を繰り返すようになり97年オフにライオンズから戦力外通告

98年はスワローズに在籍したが往年の輝きは取り戻せず退団

その後、台湾でプレイングマネジャーからピッチングコーチとして経験を積み

日本帰国後に解説者を勤めた後、2004年からライオンズの二軍投手コーチとして復帰した

翌年ドラフト1位で入団した涌井秀章を指導してエースとして素地を作り

中日から移籍した正津英志を復活させるなど貢献

26年ぶりのBクラス転落した責任を取った伊東勤に変わり2008年監督就任

チームを4年ぶりのリーグ優勝、日本一に導く

その後は2013年まで指揮を取った6年間全て5割以上の勝率

Aクラス5回と森祇晶氏に次ぐ優秀な成績を残した

現在の主力であるおかわりと栗山、浅村と秋山は監督時代に引き上げた選手

特に浅村は懲罰交代でベンチに下げた時に最前列から声を出していたのを見て翌日から4番起用

打点王のタイトルを獲得させた

2014年から現在の役職になるシニアディレクターとして

主にドラフトのスカウティングを中心に活動

そして鈴木葉留彦球団本部長退任によりジェネラルマネージャーとして来年度から陣頭指揮を執る

現在の打高投低のチーム編成になっているのは渡辺久信が球団に問われた際に

「ホームランが見られるわかりやすい野球をするようにしたい」

と言ったことが遠因になっていたかも

辻監督は守りの野球を標榜する人物なので今後どうバランスをとるのかは見ものだ

FA交渉ではすでに条件提示した

兄貴肌で人望が厚く旧友のデーブからは「根本陸夫さんになれる」と言われている

人なっこいイメージで愛すべき性格だが以前許銘傑がFA宣言するか相談持ちかけられた際には

渡辺久信が宣言を後押ししたらしい

それだけに提出期間最終日まで油断はできない

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