西武ライオンズ球団史~堤がいない街~
二度目のシリーズ3連覇を果たした1992年オフ
西武ライオンズにとって激震が走った
堤義明が全幅の信頼を置いていた人物の移籍は
当時高校生だった私にもショックだった
「目標は西武ライオンズ」
と公言し引責辞任していた坂井克之を球団社長に迎え入れていた
そこに来ての根本移籍だったので
私にとっては今後選手も移籍させられるのではないかと恐怖に襲われたことを覚えている
翌年以降それは現実になるのだけど
1993年はデストラーデのメジャー復帰で攻撃力は低下したが
鹿取、潮崎と並べた「サンフレッチェ」を形成
大沢監督が復帰したファイターズとの鍔迫り合いを制しリーグ4連覇を果たす
しかしシリーズでは前年の雪辱に燃える野村ヤクルトの前に3勝4敗
森監督のシリーズ不敗記録が20で止まった
事実上の黄金時代終焉である
そのオフAK砲でチームを引っ張っていた秋山幸二が3対3のトレードでダイエーへ
翌年なんとか混戦を制しリーグ5連覇を果たすも
観客動員の伸び悩みを理由に森監督を退任
堤は石毛を次期監督して招聘しようと画策する
しかし退任発表がシリーズ第6戦の試合前にされたこと
そして現役続行を希望していた石毛にとって堤との対立が深まり
監督拒否した後、FAでダイエー入り
歯が抜けていく様に黄金期の選手達が抜けていった
堤は東尾修を監督として招聘する
この頃からチームの編成は堤と東尾の間で取り交わされることが多くなり
トニー・フェルナンデスやアレックス・カブレラは堤のコネクションで獲得してきた
西武グループにとってもバブル崩壊後に訪れたデフレ不況に飲み込まれ
観光業は軒並み衰退
最も力を入れていたアイスホッケーチームも
コクド、西武鉄道と立て続けに廃部する事になった
これはライオンズの球団経営にシフトしていった時期と重なってくる
2001年3年連続V逸の責任を取り東尾が退任
後任には堤主導で伊東勤を担いだが現役続行
そこで伊原春樹を監督に昇格させ、伊東は次期監督の手形を受け兼任コーチとなった
2002年伊原は和田一浩を外野にコンバートさせ一本立ちさせると
東尾が遺したクローザー豊田清が0点台の大活躍
開幕からぶっちぎり4年ぶりのリーグ優勝を決める
しかしシリーズでは怪我の松坂起用が裏目に出てジャイアンツにスイープされてしまう
2003年は細川亨を正捕手として起用する方針により
4月最下位と出遅れてしまう
2位には入ったがダイハード打線と言われたダイエーに独走を許してしまった
伊東が現役を引退しそのまま監督として就任
2004年のシーズンに入る
この年近鉄バファローズの消滅とオリックスブルーウェーブへ合併が発端となり
1リーグ10球団構想が示され、選手会と野球ファンが反対運動で抵抗した
ある意味球団経営の行き詰まりを感じていた所で最後の博打に出た
しかし世論が許さず12球団継続
楽天イーグルスの新設という展開で幕が引かれる
堤の求心力はこれで失われたと言っていい
全権を手放す事になる
シーズンは2位で終わったが22年ぶりのプレーオフを制し
12年ぶりの日本一を達成
しかし余りにも対立に疲れていたのと
2位からの日本一という状況に今でもモヤモヤしているところがある
そして2005年堤は証券法取引違反で逮捕
完全に失脚をしてしまった
創設から最強と呼ばれるチームを作り上げた
堤、根本、坂井の3人が舞台から消え
西武ライオンズは再び苦境の時を迎える